関西で働く外資系IT企業サラリーマンのあれこれ

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お金はそもそもフィクションであるという現実

どうもNaokingです

 

今日は久しぶりに一日予定がない日です。家族も習い事でいないので・・さて何しようかなという感じ

恒例のジムから帰って来たので早速Blogから

 

今日のテーマはこちら

お金はフィクションであるという現実

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どういう事?って思われるかもしれませんが本日ジムで勉強してきた

中田敦彦Youtube大学 サピエンス全史についてのテーマの中で確かにな~!!と

共感したこと(改めて気づいた事)をシェアしますね。

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お金の話をする前にサピエンス全史の上巻では

何故ホモサピエンス(現在の人間)は種として勝ち残ったのか・・という説明があり、それは唯一ホモサピエンスはフィクションを作ること(認知革命)が出来たことが勝因であったという話がありました。

種として大きくなる為には、血縁関係以上に人が団結する必要があり、例えばこの村の木には精霊が宿っており、自分たちはこの精霊に守られているので団結して戦える・・のようにお互いの共通認識を作ることにより、強い団結が生まれ、他を圧倒していき、最後に残った今の人間になったというお話です

 

そもそもお金とは

そもそもお金の成り立ちって

魚を持っていて、服が欲しい人

服を持っていて、魚が欲しい人

このお互いが欲しいものを簡単にマッチさせることが出来ないから

貝殻に価値を定義して一旦物をお金に換えて、そのお金を使ってほしいものをもらう

ための仕組みとして始まりましたよね。

今でも基本的なルールはこれに乗っ取っており、

のどが渇いたからコンビニに行きお金(その物と同等の対価)と水を交換して生活をしているわけです。

ただ昨今では、物々交換するための物・・ではなくお金を多く持つことに意味があり結果として多く持つものが権力を持つという仕組みに変わってきました

 

ではお金の価値は誰が決めた?

ここでも例えからお話ししますが

ある人がA4の紙を破っていたとします。どう思われますか?・・何も思わないですよね

では、ある人が一万円札を破いていたとします。狂ってるなって思いません?

ただ破っているものは同じただの紙なんですね。

私たちの頭の中に一万円という価値のある紙を破っているというフィクションが植え付けられているから狂っていると感じるわけです。

つまり、地球上の人間はお金の価値を共通の認識として持っているのですが紙そのものに価値は無いわけです。

遠い外国に遊びに行って、日本円が影響力を及ぼさない国の方から見ると、日本円は便所の紙程度の価値しかないのもそういう事ですよね。

 

ただ僕たちはこのフィクションによって決められたルールに沿ってストレスを抱えてでもこの紙を集めそれに喜びを感じるわけです。

貯金通帳の増え高だけみて喜んでいることが馬鹿らしくなりますね。

 

何故ホリエモンキングコング西野さんに憧れるのか?

最近”馬鹿と付き合うな”や”新世界”を読んでいて彼らの著書が清々しく思えるのは

彼らはこの紙を集めることをゴールとしておらず、この紙によって決められたフィクションを活用することによって自分の本当にやりたいことを実現している事がたくさんの人達から評価されているポイントなのかもしれませんね。

 

あ~もっとお金上手にたまらないかな・・

ではまた!!