どうもNaokingです
今日も早朝からBlogかきかきです
DMMも筋トレもそうなのですが、1日の後半に貯めるとストレスの元ですよね。
好きでやってるはずなのに
あ~やらないと・・と思わないように
なんでも早めにやることを心がけています
という事で今日のテーマはこちら
【人生】お通夜のあとの説法を聞いて感じた事
日本人というのはとても不思議な人種です
キリスト教を崇拝されている方々は定期的に教会に通います
イスラム教を崇拝されている方々は毎日決まった方向に向けてお祈りを捧げます
日本人の多くは仏教徒ではありますが、お盆やお通夜のタイミングぐらいしか
念仏を聞くことはありません
でも多くの方がお正月には神社にお参りに行きます
でも自分がその中でどの宗派かすらよくわかっていません
少し余談ですが、会社のグローバルインベントで海外へ出張するとき、2人1部屋の時代がありました。事前に渡米予定の人をつかまえて申請時にこの人と同部屋にしてれってリクエストを上げると、基本通るのですが、急遽出張になると、勝手なマッチングが行われます。
2012年に転職した際にも、既にエントリーが終わっている中、参加する事となり、
私の同部屋の方は、メキシコ人でした。(と言っても結局キャンセルされたのか来なかったんですけどね)
同僚は、中東の方が同部屋だったらしく、ある時間になると部屋の中でお祈りをされていたといっていました。
宗教というのは深いものがありますね。
そして昨日祖父のお通夜がありました
以前に聞いたことがある念仏とは違っていたので、そこで初めて母方の祖父は、宗派が違うんだろうなと思いながら最後の説法でとても納得のいくお話を聞いたのでシェアです。
皆さんは身内が亡くなった時、周りにどのように伝えますか?
『身内に不幸がありまして』
こんな表現ですよね?
『不幸』
この言葉に違和感があるのです
世の中に『絶対』は無いと言いますが、一つだけ『絶対』があります
人は『必ず死ぬ』という事です
仏教の世界では、現世を旅立つというのはあくまで通過点となりそこから新たな旅路が始まるようですが、必ず通る道なのです
つまり人が絶対に通る道にも関わらず、これは不幸な事なのでしょうか?
お話を聞いていて思いました
『確かに!!』
とても納得のいく話でした。
以前もどこかで説法を聞いて納得した記憶があるのですが
あれって、その界隈では素敵な言葉を教えてくれる場があったりするんですかね?
全てのお坊さんが自分で考えてそれを伝えてくれてるのでしょうか?
そうだとすると相当のプレゼン能力ですね
勉強になりました
ではまた!!