どうもNaokingです
今日は早朝(朝5時半)からブログ書いてます。
実は今週は、ずっと早起きして仕事をしてます。
正直よい!!
朝早く起きて仕事をこなして、子供を見送り・・
早めに仕事を終える・・
っても結局夜、メールとか見るとやらないとって仕事を見つけてPC立ち上げる事もあるけど、なんとなく5時ごろぐらいにはPCを閉じるようにしてます。
朝早く起きて資料を作って今日がお客様への提案の本番の予定でした
結構周りの意見踏まえて提案書に盛り込んでいくとブレるブレる・・
ってことで今日のテーマはこちら
【人生】遠くの『XXX』より近くの『YYY』・・・
ちょっとXやYってなんや?って感じですが
今日のミーティングがリスケジュールとなりました。
私の都合で再調整となった感じです。
何故か・・母方の祖父が亡くなりました
98歳(来月で99歳)という事もあり大往生だと思います。
なので今日の提案は私がお通夜に参加する必要がありリスケジュールになったわけです。
私は10年前に東京から大阪に移り住みましたが、基本的には学生時代はずっと京都に住んでいました。
祖父母も京都在住です、年に1度は子供の成長を見せたかったので顔を出してます(大抵は敬老の日だったかな)
当然、小さなころは、母に連れられよく行っていたので色々な思い出もあります。
でもね、亡くなったという話を親からきいて、冷たく聞こえるかもしれませんが、悲しみみたいなものが上がってきませんでした。
『そうか~』って思いましたが、それ以上に感じる事は何もありませんでした
そして息子や娘に話をしても、悲しんでいる感じが見て取れません
そして昨日、ふと夕方に思いました
今年の頭に2年2か月ほど一緒に住んでいたジャンガリアンハムスターのハムさんが、亡くなりました。
この時、私も何十年ぶりに、号泣しました。
息子娘も、ずっと泣いていました。
コロナの影響もあり、お通夜と言っても本当に近い身内のみ
祖父も98歳という事もあり、そもそも友人も既にほとんどなくなっており
お葬式ふくめて、形式的な事をするだけです。
我が家のハムさんは今でも埋めたお墓(実家のガレージの裏)には行くたびに手を合わせてます。
遠くの親族より近くのペット・・
不謹慎化と思いますが、心のメカニズムってのは不思議だなと思った次第です
自分が死ぬときには多くの友人・家族に見守られて他界したい・・なんて考えていますが、距離の遠い友人・親族たちは私の一報を聞いた際に駆け付け、涙を流してくれるのでしょうか?
とても難しい気がします
人生って本当に難しい
ではまた